Part18 声の大きさは、生きるためのアピール
2021年6月29日 17時14分今、本校の生徒は、大きな声であいさつをすることができています。また、職員室の出入りでも、自分の名前と用件を大きな声で言うことができています。でも、授業中になると、なぜか小さな声でしか発表できない人が多くいます。なぜでしょうか。
じつは、授業中、自分の考えや思いを大きな声で発表することは、将来、社会に出て、自分の夢を実現するために、非常に大切なことなのです。それはなぜでしょうか。それを知るうえで、とても参考になるお話があるので、紹介しましょう。
生井利幸さんが、こんなことを書かれています。(概要です。)
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日本人観光客がニューヨークを訪れ、現地でまず最初に受ける印象といえば、「ニューヨーカーの声は実に大きい」ということではないでしょうか。
ではここで、「どうしてニューヨーカーの声は大きいのか」という問題について考えてみたいと思います。そもそも、大抵のアメリカ人は体が大きいから声に迫力があるのではないか」と考えるのが一般的ではないかと想像します。しかし、実際、彼らの声が大きいのは、単に、体のサイズが大きいからではありません。次のような要素が内在しているといえるのです。
<1>ニューヨークという場所自体、実に様々な民族・人種・文化・価値観等が交錯した場所であるため、そこに住む人々においては、常に、「一個の固有の人間」として自分をダイナミックに表現する必要性がそこに存在するのです。
<2>「一個の固有の人間」として自分をダイナミックに表現するには、自分なりの、「すこぶるエネルギッシュな言語表現方法・振舞い方」が必要となります。
<3>ニューヨーク・マンハッタンは、自他共に認める”世界一の競争社会”です。「一個の固有の人間」として世界一の競争社会で生き残るには、確固たる意志、そして、相当なるエネルギーが必要となります。毎日を生きるニューヨーカーは、常に、”生き残り”をかけて「一個の固有の人間としての”炎”」が燃え続き、「声」そのものにダイナミックな迫力が生じてくるのです。
結局のところ、人間のエネルギーの源泉は、「地球に存する一人の人間として、自らの”生”を全うしたい」という”強い願望”から湧き出てくるものだと私は考えます。
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いかがですか。少し難しかったですか。ここで、私たちが学ぶべきことは、「人が生きていくには、“一人の人間としての存在”を大きくアピールする必要がある。そのためには、アピールできるだけの声を出す必要がある。」ということだと思います。
また、こんな話もあります。
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声の大きさとは、自信の大きさの表れです。自信があれば、自然と声も大きくなります。自信がないときには、自然と声も小さくなります。
言葉は、情報をそのまま伝えることができます。精神的な部分はどうやって伝えるのかというと、「声の大きさ」です。精神的な部分、とりわけ「自信」という面に関しては、声の大小によって相手へ伝えることができます。「(小さな声で)ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど…。」と、ひそひそした声で話しかけられると、深刻な悩みがあるのかと思います。
一方、堂々とはきはき話す人には、大きな自信が感じられます。大きな声で話すと、遠くの人にまで聞こえます。それだけ大きな声で話すということは、自分の言っていることに嘘はなく、自信があるからということになります。堂々と話す姿によって、相手に自信の大きさをアピールすることができるのです。
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いかがですか。この2つのお話しから、私は、こう思うのです。「自分の夢を実現するためには、周りの人たちから認められなければならない。認めてもらうための一番の手段は、相手に伝わる声を出して、自分をアピールすることである。」
だから、私たちは、自分の将来のために、「日頃から特に授業中、クラスのみんなに聞こえる声を出して、自分の思いや考えをアピールし、自分の存在を示すことが大切である」という結論になるのではないでしょうか。
みなさん、そう思いませんか?